Monday, March 27, 2006

カトリーナで散々な目にあったフロリダ州は、金持ちが老後を過ごす場所と相場が決まっているが、歴史的な点でも興味深い地域である。
スペイン人が最初にPesacolaに入植したのは16世紀の中期と考えられているが、その後100年ほど捨て置かれた。1719年に勢力を拡大しつつあったフランス人がこの地に進出したが、三年後にはスペインに譲渡された。周期的に訪れるハリーケーンは当時の荒くれ者達を悩ませ、場合によっては恐怖のどん底に突き落としたことだろう。西インド諸島や南米こそが覇権を賭けた主戦場であったわけだが、当時のフロリダやルイジアナの置かれた状況によって、その後のアメリカの多様性が形成されたという側面もある。
台風Ivanによって壊されたプールの再建工事の現場で、15世紀から17世紀(16世紀が有力か)に難破したと思われるスペイン船の残骸がこの度見つかった。地下23mの砂の中で発見されたということだが、プールが海軍の海難・保護訓練用の施設というのはあまりに皮肉ではないか。掘り起こされた残骸からタイルやロープやオリーブの壷が見つかったというが、 この船の正確な年代は分かっていないが15-17世紀のものとみられる。
 ポルトガル人フランシスコ・ゼイモトが中国船に便乗して種子島に来たのは1543年の八月であったが、台風銀座に位置する種子島に流れ着いたのは偶然ではなかった。彼らの乗った明国船は広州を出発したものの台風に遭遇し、琉球列島を北上したが、上陸を拒まれ、種子島南端門倉岬に漂着したのである。
 種子島時堯はポルトガル人を厚遇し、key technologyの獲得に成功したが、これが30年後の信長の長篠の戦いの勝利に繋がるとは想像すらできなかぅただろう。
 打ち捨てられたスペイン船はアメリカ大陸に何をもたらしたのだろうか?
AP 通信のニュースより

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