Tuesday, April 04, 2006

イスラエルとパレスチナの鍔迫り合いが始まった。
 今度は、6日間戦争でウエストバンクで指揮を執ったElad Peledの名を冠した団体が、入植地者たちをSilwan地区およびオリーブの丘へと転居させ進めたというのだ。
 東イエルサレムとなると、話はヤヤコシい。1967年のシコリがあるし、パワーバランスによってとりあえず手打ちとなっていたところもあり、今度は傷口に塩を塗るようなものなわけだ。
 保守勢力としては、カディマに負け、大衆的な支持を失いつつある状況に危機感を持ち、揺さぶりをかけているが、やりすぎると誰にも消せない大火事になる。
 Elad協会が購入した2つのビルはオリーブの丘に立っているが、この土地の前所有者はアルブ人に売ったと主張しているが、「金で魂を売ったのか?」とばかりに、レストランは放火され、治安当局の尋問を受けるためにRamallahまで連行されたりしているという。
 パレスチナとしては東イェルサレムに首都をおきたいわけだし、イスラエルとしてはイェルサレムは不可分だとの思いが強い。 オリーブの丘への拘る理由となると、wikipediaの説明が簡潔だ。

Major damage was suffered when the Mount was occupied by Jordanduring the 1948 Arab-Israeli War, with Jordanians using the gravestones from the cemetery for construction of roads and toilets, including gravestones from millennia-old graves. When Israel took back the area, the Israelis painstakingly repatriated as many of the surviving gravestones as possible.

これを業と呼ばずして何を業と呼べるのだろうか?
BBC news

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